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昔々(西暦1372年)、四つの川が合流する地点の岸辺に“ペン”という裕福な老婦人が住んでいました。彼女の家は小さな山の東にある丘の上に建てられていました。

2
ある日、一帯に大雨が降り、川の水は氾濫して大変な洪水となりました。ペン婦人が波止場へおりると、岸の近くに大きなコキの木が浮かんでいるのを目にしました。溢れる水の波に押され、浮き沈みを繰り返していました。

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それを見たペン婦人は、そのコキの木を引き揚げるため、近隣の人々に助けを求めました。近隣の人々はロープを持ち寄り、それを木に縛り付けて少しずつ引き寄せました。そしてついに大きなコキの木を岸に引き揚げたのです。

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ペン婦人が木についた泥を払うと、木の洞(うろ)の中に、青銅でできた小さな四体の仏像と、石でできた一体の神像を見つけました。その神像は立姿で片手には棍棒、また一方の手には法螺貝を携え、髪は結い上げられていました。

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その後、ペン婦人は近隣の人々に呼びかけ、彼女の家の西にある丘に土を盛り、山にしてもらいました。そして、その山の上に建てる祠の柱とするため、コキの木を切ってもらいました。

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1372年、ペン婦人は多くの人々と協力して茅葺きの祠を山の頂上に建てました。そしてペン婦人は行列を組み、四体の仏像をその祠へ安置し、立神像は東の山の麓に祀りました。
ペン婦人は、この立神像がラオスから流れ着いたものと考え、またその造形がラオス様式のようだったことから“ネアックタープレアチャウ”と名付けました。現在に至るまで、この名で呼び伝えられています。

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祠が完成すると、ペン婦人はその山の西の麓に僧侶たちを招きました。
それ以来、“ワット・プノン・ドーンペン(ペン婦人の山の寺)” と呼ばれ、その略称である “ワット・プノン” として、現在まで呼び伝えられています。
四体の仏像とネアックタープレアチャウはとても強い力を発しており、あらゆる人の願いを叶えてくれると信じられています。

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これがその後60年の時を経て、栄えあるカンボジアの王都となるプノンペンの始まりの物語です。
おしまい
