「プノンペンの始まり物語」

首都 プノンペンの名前にまつわるお話です。

※この話は「発掘昔ばなし」ではなく、プノンペンで広く知られた昔話になります。

ワットプノン.jpg

現在カンボジアの首都であるプノンペンは、王宮が建造される以前に起源があり、その名前の由来は次のように言い伝えられています:

 

昔々(西暦1372年)、四つの川が合流する地点の岸辺に“ペン”という裕福な老婦人が住んでいました。

彼女の家は小さな山の東にある丘の上に建てられていました。

 

 

ある日、一帯に大雨が降り、川の水は氾濫して大変な洪水となりました。ペン婦人が波止場へおりると、岸の近くに大きなコキの木が浮かんでいるのを目にしました。溢れる水の波に押され、浮き沈みを繰り返していました。

 

それを見たペン婦人は、そのコキの木を引き揚げるため、近隣の人々に助けを求めました。近隣の人々はロープを持ち寄り、それを木に縛り付けて少しずつ引き寄せました。そしてついに大きなコキの木を岸に引き揚げたのです。

 

ペン婦人が木についた泥を払うと、木の洞(うろ)の中に、青銅でできた小さな四体の仏像と、石でできた一体の神像を見つけました。その神像は立姿で片手には棍棒、また一方の手には法螺貝を携え、髪は結い上げられていました。

 

その後、ペン婦人は近隣の人々に呼びかけ、彼女の家の西にある丘に土を盛り、山にしてもらいました。そして、その山の上に建てる祠の柱とするため、コキの木を切ってもらいました。

 

1372年にペン婦人は、多くの人々と協力して茅葺きの祠を山の頂上に建てました。そしてペン婦人は行列を組み、四体の仏像をその祠へ安置し、立神像は東の山の麓に祀りました。

ペン婦人は、この立神像がラオスから流れ着いたものと考え、またその造形がラオス様式のようだったことから“ネアックタープレアチャウ”と名付けました。現在に至るまで、この名で呼び伝えられています。

 

祠が完成すると、ペン婦人はその山の西の麓に僧侶たちを招きました。それ以来、“ワット・プノン・ドーンペン(ペン婦人の山の寺)” と呼ばれ、その略称である “ワット・プノン” として、現在まで呼び伝えられています。

四体の仏像とネアックタープレアチャウはとても強い力を発しており、あらゆる人の願いを叶えてくれると信じられています。

 

これがその後60年の時を経て、栄えあるカンボジアの王都となるプノンペンの始まりの物語です。

 

 

おしまい

ワットプノン WIX用.jpg

現在のワットプノン