今日は「橋の遺跡/Spean Toap」をご紹介したいと思います。
“カンボジアの遺跡”というと、まずアンコールワットなどの寺院遺跡が思い浮かぶと思います。クメール王朝が栄華を誇っていた時代(9~15世紀)は、現在のカンボジアの国土をはるかに越えて、タイ、ラオス、ベトナムなどインドシナ半島の多くの地域はクメール王朝の勢力下にあったそうです。
それゆえ、インドシナ半島の各地にはクメール様式の寺院遺跡が点在しており、有名所をあげると、タイ中部のロッブリーの遺跡、タイ東北部のピマーイ遺跡、ラオス南部のワットプー遺跡などがあります。
これらの寺院の規模や建築技術を見ると、王都シェムリアップと各地とを結ぶ街道に、ヒトとモノが多く行き交っていたことが容易に想像できます。 (日本でも江戸時代に整備された東海道や中山道などの五街道がありますよね)
前置きが長くなりましたが、今回はシェムリアップからタイ東北地方:ピマーイ遺跡に通じるクメール街道に現在も掛かる石造りの橋をご紹介します。
場所はシェムリアップ州とオドーメンチェイ州の州境を流れる川に掛かっています。
車で行く場合、68号線という国道(州道?)を南北に走る事になりますが、橋のあるエリアは(おそらく)遺跡保存のため迂回のための新道が出来ているので、Google MAPなどでチェックしないと通り過ぎてしまうので注意が必要です。
ナゼ私がこんなへんぴなエリアの橋の遺跡を知っているかと言うと、今から20年ほど前に日本テレビ「電波少年」の番組でこの街道を舗装する企画に参加して、9か月ほど68号線の舗装に従事していました。
タイ国境に通じるこのエリアは、当時内戦の影響が色濃く残っていて、2001年当時は地雷原を示すドクロの赤い看板が点在し、手足のない大人や子供がけっこういた印象で、壊れた戦車などもまだ道端に残っているような時代でした。
戦争の面影を除けば、他のカンボジアの田舎と同様に、青空と緑の大地・・といった景色です。赤土の一本道に村と田んぼが点在していて、農耕牛と村人が行き交う超牧歌的なところでした。
という事でこれらがその州境に掛かる橋の遺跡「Spean Toap」です。
<アンコールワットの基礎や内部と同じブツブツのある硬い石材>
<橋の上のガードレール部は、砂岩で彫刻が施されている>
<一部で水のある所もあります>
<橋の上はこんな感じ>
アンコールワットと同様に、ぶつぶつで硬質な石材が積み重ねられ、日本やヨーロッパでも見ないような、橋柱が多い独特のスタイルで建造されています。
橋上のガードレール部には、砂岩を用いた彫刻などの装飾が残っています。
一番肝心な橋の強度ですが、内戦時は相当な重量のある戦車が何両も通過したと思いますが、相当頑丈に作られた為ビクともしていません。基本的に今でも車が通れる現役の橋となっています。 また日本と違って“地震が無い”という事も、中世の建造物が現代に存続出来ていることの一因かと思います。 私はそれほど建築に明るくありませんが、なんとなく数百年前の“古の匠たちの技”を垣間見れた気がします。そしてこの橋の建造に従事していた多くの労働者の汗だったりも想像して見たり。。。
世界中の遺跡に共通することですが、かつて栄華を誇った証である遺跡の周辺には、例えば貯水池だったり、利水のためのインフラ系遺跡が残っていたりします。
街道や水路など、当時の人の生活が垣間見れるような遺物に注目してみると、それまでの歴史観や遺跡の見方がググっと広がって、これまで見過ごしていた新しいモノを発見出来るかもしれません。
という事で文明のインフラ遺跡、是非ご注目ください!
END
<当時68号線に置き去りにされていた戦車>
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